Peco’s Journal

いろんなこと書くよ

人から好かれるということ

 

昔、人の目を気にして身動きが取れなくなっている人に、「人の目なんて気にするな。誰かに嫌われようと気にするな」と声を掛けたことがある。当時はそれが完璧に正しいと思っていた。真実として、それは大まかな意味では正しいのだと思うが、今思えば本質的には少しだけ違ったのかもしれない。

 

人から信頼されること、人から頼られること、即ち人から好かれるということは、上手に生きるための重要な要素の一つだ。

例えば、部下に慕われている上司のいる職場はよく指示が通り、仕事が上手く回るだろう。先輩に好かれている後輩は多少ミスをしても許してもらえるだろうし、生徒の人気者の先生は夏休み前に課題を大量に出しても文句を言われないだろう。つまるところ、人から好かれていると正義を獲得できるのだ。

 

反対を考えてみる。嫌いな上司の説教を、1から10まで真剣に聞くことができるだろうか?嫌いな後輩が部活をサボっているのを許容することができるだろうか?嫌いな先生の授業に心から出席したいと思うだろうか?

 

何が正しくて何が間違っているか。そんな話は考え出すとキリがないのでここでは割愛するが、ここで僕が言いたいのは、好きな人の言うことは、多くの場合正しいと錯覚してしまうということだ。そしてこれは、悪い捉え方をすれば、社会的には多少間違っていたとしても、支持を得てさえいればある程度の無理は通すことができるということだ。これが冒頭で述べた、上手に生きるための重要な要素、その本質だ。信頼というものをこんな風に悪用するのはよくないかもしれないが、事実こうして上手に立ち回って生きている人間が世の中には存在する。

 

少し話が逸れたが、最後に本当に伝えたかったことを記してこの話を終わりにしよう。

 

誰かから嫌われていても人は生きていける。けれど、沢山の人に嫌われていると、例えどんなにそれらに無関心でも、ちょっとだけ生きづらくなってしまう。

 

 

世の中、色々な人がいる。自分が好きな人も、他の誰かが嫌っている人かもしれない。全ての人に好かれるのはハッキリ言って非現実的だし、僕もこの事実に抗うことはしない。けれど、集団の中の個人として自分を見る場合、なるべく多くの人に好かれていたほうが、きっとその集団の中では生活しやすくなるはずだ。自分のことを好きな人をなるべく増やしていく努力、それは決して無駄にはならないのだと思う。